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がネビリムの世話になってから1週間が過ぎようとしていた。 なぜだかはわからないが、はこの世界の言語の読み書きが出来たので、ネビリムに貸してもらった書物を使って、この世界のことを勉強していた。にとって書物は日本語で書いてあるように見えるのだが、実は違うらしいということがわかった。この世界では共通言語としてフォニック言語というものが使われているらしい。英語のようなものだろう、とは勝手に解釈していた。不思議なことに、他の者からして、はフォニック語を話しているように聞こえるようだ。そのため会話にも不自由しない。 ―――上手く出来すぎだ は少し気味が悪いと思った。誰かに操作されているかのような感じがして気持ちが悪かった。けれど、それで助かっているのもまた事実だった。 この世界は根本的に自分の世界とは異なる、ということがわかってきた。 まず、全ての物質は音素のよって構成されている。そして、全ての生命体や構造物にはそれぞれ特有の音素振動数があり、その違いにより個が存在している。つまり、同じ音素振動数をもつものはありえない、ということらしい。 もうこの辺りからして、全然違う。 音素なんて言葉はこの世界に来るまで耳にしたことがなかった。 そして、ジェイドという少年がに使った魔法みたいな力、そしてがそれを相殺した不思議な力――― あれを、この世界では譜術というらしい。 こうやって、この世界のことを勉強しても、元の世界に帰る方法は全くわからなかった。 むしろ、二度と帰れないのではという不安が胸をもたげた。 コンコン、と突然扉をノックする音が聞こえた。 扉から顔を見せたのは、この家の主であるゲルダ・ネビリムだった。 「あら、また勉強していたのね。一緒にお茶でもどうかしら?今、ネフリーたちがおいしそうなケーキを持ってきてくれたの」 ネビリムは週に3日、この家の一室を使って私塾を開いている。 通常の授業は午前中で終わりなのだが、午後も特別にジェイドともう一人サフィールという生徒を個別に教えたりすることもある。今日がそうだった。 ネフリーとはジェイドの妹のことで、残って勉強する兄のために差し入れを持ってきてくれたりする。 「ありがとう、ネビリムさん。けど、私が行くとジェイドが・・」 そう、なぜかジェイドはを嫌っているようなのだ。殺されそうになったのはこっちだというのに。 「大丈夫よ。私も一緒に行くし、それにピオニーも来てるのよ」 ネビリムはの言葉を違う意味で受け取ったらしい。がジェイドを危険視して怖がっている――と。まあ、あながち間違ってはいないが。 結局、ネビリムに説得され、はみんなのいるリビングに連れて来られた。 「あ、!」 真っ先にに声をかけたのは、ピオニーだった。 ネフリーもが来たことを素直に喜んでいる。 しかし、その兄、ジェイドの方はというと――― こちらを見向きもせずに、ケーキを黙々と食べ続けている。 サフィールという少年はジェイドの態度におろおろしている。 「お姉ちゃんもどうぞ」 ネフリーはケーキをお皿に取り分けて、に差し出した。 兄とは違って愛らしいことこの上ない。 「ありがとう、ネフリー」 は礼を言って、お皿を受け取った。お皿の上にはおいしそうなチョコレートケーキが一切れ乗っている。朝からずっと本を読んでいたので、ちょうど糖分が恋しくなってきたところだった。 「なあ、結局どこに住んでたのかは思い出せないままなのか?」 ケーキを既に食べ終えていたピオニーは、の方を興味津々に見つめながら問いかけた。 としてはかなり答えづらい質問だ。 「うーん・・、なんていうか、記憶がなくなったわけじゃなくて・・なんて説明すればいいのかな」 は困ったようにネビリムに目を向けた。ネビリムの方もと同じらしく、困ったような顔をしている。もしかしたらはこの世界の人間ではないのかもしれない、ということは二人ともなんとなく感じていた。けれど、そんな確証も何もないことを、10を少し過ぎたばかりの子供達に話すのはためらわれたのだ。 「ま、いいや。別にがどこに住んでたかなんてどうでもいいことだしな」 二人の異様な様子に気づいたのかどうかはわからないが、は話を終わらせてくれたピオニーに心の中で喝采を送った。 「じゃあさ、って譜術使えるんだろ?一体誰に習ったんだ?」 喝采を送ったのも一瞬だった。ピオニーの質問はまたしても答えづらいものだった。その力が譜術だということも知らずに使っていたのだから、誰に習ったとかそういう次元の問題ではなかった。 ふと、ジェイドに目を向けてみると、不審さの篭った目でのことを見ていた。オロオロした様子のに不信感を抱いたようだ。 「どうして答えられないんだ?あの時、あんたは第二音素で僕の譜術を無効化したじゃないか。詠唱時間も短かった。あんなこと出来るようになるには相当な訓練が必要だ。―――あんたは、何者なんだ?」 前にも一度問いかけられた言葉――― ジェイドの深紅の瞳に力がこもる。 は目を逸らすことが出来ない。この少年は自分をただ嫌っているわけではない。警戒しているのだ。 「わ、私は・・・」 そんな簡単な問いにさえ今の自分には答えることが出来なかった。 自分でも自分がわからなくなっている。 ―――私は一体何者なんだろう? 「まあ、答えたくないならいいや!そのうち教えてくれよな!」 ピオニーは笑いながらそう言ってくれたが、は曖昧に笑みを返すことしか出来なかった。 |